札幌高等裁判所函館支部 昭和43年(ネ)2号 判決 1969年2月18日
主文
本件控訴を棄却する。
控訴費用は控訴人の負担とする。
事実
控訴代理人は「原判決を取消す。被控訴人の請求を棄却する。被控訴人は控訴人に対し、別紙目録記載の土地につき函館地方法務局今金出張所昭和四一年一一月一七日受付第一〇一六号をもつてなされた所有権移転請求権仮登記の抹消登記手続をせよ。訴訟費用は等一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人は主文第一項同旨の判決を求めた。
当事者双方の事実上および法律上の主張ならびに証拠関係は、控訴代理人において、本件宅地転用部分についても知事の許可は必要である(最高裁判所昭和四二年一〇月二七日判決参照)と陳述し、被控訴代理人において甲第一四号証を提出し、当審証人中井誠司、同日野清輝、当審被控訴本人の各供述を援用し、控訴代理人において当審証人伊藤鋼義、当審控訴本人の各供述ならびに当審における検証の結果を援用し、甲第一四号証の成立を認めると述べたほかは、原判決事実摘示と同一(但し原判決四枚目裏二行目に木田清吉とあるのは本田清吉の誤記と認める)であるから、これを引用する。
理由
一、昭和三一年一一月一六日、控訴人と被控訴人間に、控訴人を売主、被控訴人を買主として、当時控訴人が所有していた別紙目録記載の土地(以下本件土地という)につき代金四〇万円(但し実測の結果地積に差異を生じた場合には本件契約の坪当り単価によつて増減処置する)で売買契約が成立したこと、右土地につき右売買を原因として函館地方法務局今金出張所昭和四一年一一月一七日受付第一〇一六号をもつて被控訴人のために所有権移転請求権仮登記がなされていることはいずれも当事者間に争いがない。
二、よつて進んで控訴人の契約解除の主張について検討する。
本件売買契約は本件土地が農地であることを前提としてなされたもので、右契約において、控訴人被控訴人双方は昭和三三年一一月一七日までに知事に対し本件土地所有権移転についての許可申請手続をとることおよび右許可がない場合には控訴人は右契約を解除しうる旨特約されていたこと、昭和四一年六月二一日、控訴人は右特約に基づき被控訴人に対し本件契約を解除する旨の意思表示をし、右意思表示が翌二二日被控訴人に到達したことはいずれも当事者間に争いがなく、成立に争いない甲第三号証および原審証人日野清輝の証言並に弁論の全趣旨によれば右許可申請は農地法五条所定のものと約されていたものであり、前記約定期間内に知事に対する控訴人、被控訴人両名による右許可申請手続はなされなかつたことが認められる。
ところが本件売買契約締結当時本件土地が農地であつたかどうかについて争いがあるので、まず右の点について判断するに、成立に争いのない甲第一二号証の一ないし三に原審証人森川政太郎、同本田清吉、同稲垣保一、原審被控訴本人、原審および当審控訴本人の各供述を総合すると、本件土地は昭和一八年一二月八日控訴人が訴外黒沢溥から買受けた土地の一部で、当時附近一帯は未開墾の湿地帯原野であつたところ、終戦直前頃より地元農事実行組合により排水工事がなされ、控訴人も亦本件土地をはじめ周辺所有地に排水管を埋設し、昭和二三年頃以降本件土地の一部を開墾のうえ、とうもろこし、馬鈴薯等の畑として自ら耕作使用してきたが、同二七、八年頃訴外稲垣保一に対し、本件土地中現に被控訴人の居宅が存在し敷地として整地されているところを中心とする北側約六六〇平方米(約二〇〇坪)の部分の使用を任せ、右稲垣は本件売買契約成立後は控訴人を通じ被控訴人の承諾も得て同人が居宅建築に着手した昭和三四年一一月頃までの間該土地部分を野菜畑として耕作使用していたこと、そして右畑地を除く部分は湿地のため荒地のままに放置されていたことが認められる。右事実によつてみれば、本件売買契約締結当時本件土地内に農地法所定の農地部分が存在したものと認めるのが相当であり、しかも原審および当審における証人日野清輝、同被控訴本人、控訴本人の各供述によれば、本件売買契約は被控訴人において本件土地上に居宅を建てこれを宅地として利用するためのものであつて、控訴人も右意図を諒承の上宅地としての取引相場に従い価格が決せられたことが認められるから、従つて少くとも右農地部分の所有権移転が効力を生ずるためには、農地法五条所定の知事の許可を要するものというべきである。ところで控訴人は前記特約所定の期間内に被控訴人が許可申請協力義務を怠り、このため知事の許可が得られない場合も右特約にいわゆる知事の許可がない場合にあたるとして本件契約の解除を主張するところ、なるほど右約定期間内に被控訴人が上記許可申請手続に及ばなかつたことは前認定のとおりであるが、右許可の申請はもとより当事者双方の共同によつてなされるべきものであるから、一方が他方の協力義務不履行を理由に本件約定解除権を行使するためには、自ら進んで許可申請に必要な書類を整える等自己の尽すべき準備を了しその旨を通知するとともに所轄機関(農業委員会)への出頭期日を連絡して相手方にその協力を求めることを要し、何ら右の挙に出ることなく一方的に相手方の不履行責任を問うことは許されないものと解するのが相当である。ところが本件においては、控訴人において前記約定期間中に右のような準備を了して被控訴人にその旨通知しその協力を求めた事跡を認めるに足りる的確な証拠は存せず却つて原審控訴本人並に原審および当審における証人日野清輝、同被控訴本人の各供述によれば、控訴人は右約定期間中自らなすべき準備はもとより被控訴人の協力を求めることもないまゝ右期間を徒過したことが認められるから、被控訴人に前記特約所定の許可申請協力義務の不履行が存したとはいゝ得ず、従つて右特約所定の解除権は発生しないというべきであるから、控訴人のなした右特約に基づく本件契約解除の意思表示はその効力を生ずるに由ないというほかない。よつて控訴人の契約解除の主張は理由がない。
しかして成立に争いのない甲第四、五号証、同第一三号証の一、二、同第一四号証に当審証人中井誠司、原審および当審における証人日野清輝、同被控訴本人、控訴本人(ただし後記信用しない部分を除く)の各供述並に原審および当審における検証の結果を綜合すると、
(1) 被控訴人は本件売買契約締結の翌日約定代金額の九割弱にあたる三五万円の支払を了し、本件土地の引渡を受けたが、その後住宅金融公庫に対する建築資金貸付申込が再度抽籤洩れになつたので、すぐさま住宅建築の運びまで至らず、買受後も前記稲垣に無償で耕作使用を認めていたが、昭和三四年同公庫の融資決定がなされたので、稲垣より右耕作部分の明渡をうけ、同年一一月頃から翌三五年五月頃にかけて本件土地の北西部分を地盛し敷地として整地したうえ、右地上に建坪八二・八〇平方米(二五坪〇五勺)二階一五・二〇平方米(四坪六合)のブロック造亜鉛鍍金鋼板葺二階建居宅を建築し、同三六年春頃右居宅の東側部分(本件土地の東北部分)に本件土地からの湧出水を導き入れるために数個の池を掘りまた草木を植込んで庭園を造成し、更に従来荒地のまま放置されていた南側部分一帯に大量の地盛りをして水はけを良くし、そのうち約四六〇平方米(約一四〇坪)の部分を自家菜園として使用してきたもので、以来現在に至るまで右菜園中の約三三平方米(一〇坪)が草地と化したほかは本件土地の状況に変更がないこと、そして控訴人は、被控訴人が前記公庫へ融資申込をした昭和三四年八月頃、被控訴人に対して敷地所有名義人としての建築承諾書を交付し、かつ前記地盛工事等についても何らの異議を差挟まなかつたこと
(2) 本件土地は平坦な長方形をなす一劃の土地で、被控訴人の住宅敷地用として一体的に利用されており、現に自家菜園として使用されている前記土地部分は本件土地全体の約三割にすぎず、これとても函館米穀株式会社を停年退職した被控訴人が余生を送るべく建設した前記住宅周辺に存する空地利用の域を出ないものであること
(3) 本件土地は国鉄瀬棚線今金駅の南西約三五〇米にあつて、同駅を中心として約二キロ四方は昭和二五年一二月二五日付で都市計画区域に指定されており、本件売買契約当時、本件土地の西方そば近くには既に幹線道路(今金八雲線)が南北にのびて該道路に沿い映画館、商店等が立並んで繁華街を形成し、また前記都市計画に従つて本件土地の北側に沿つて幅員約七米の道路が新設されるとともに右都市計画区域内には前から建つていた小学校のほか高等学校、民家等が次々に建てられ控訴人においてもかかる宅地化の趨勢に乗じて、同人が所有していた本件土地および周辺地の大部分を現在までに次々に宅地用として分譲し、従前所有していた約五万四五四五平方米(五町五反)の土地は、今金町に道路用地等として約六九四二平方米(七反)を寄附したこともあつて現在約一万六八五九平方米(一町七反)に減じているものであること、そして控訴人は、旧三五九番地(本件土地はその一部)六六六四平方米(六反七畝〇六歩)のうち本件土地北側に沿う道路に面する土地部分を、被控訴人を最後の買受人としてことごとく宅地用に分譲し、被控訴人の買受当時において、本件土地西隣の青木某の買受地を除いたほとんどの分譲地上に建物が建てられていたこと、更に昭和三六年頃に至つて右青木も建物を建て、同四二年頃本件土地東隣に今野某の家屋が新築され、また本件土地南方にある相当数の建物は昭和二〇年頃までに建てられていたこと
以上の事実が認められ、成立に争いのない乙第五号証の一ないし一三、右認定に反する原審および当審における証人伊藤鋼義の証言、同控訴本人の供述部分は前掲各証拠に対比してたやすく信用し難く、他に右認定を左右するに足りる的確な証拠はない。
以上認定の各事実からすると、本件土地は昭和三六年春頃までの間に地盛のうえその地上に被控訴人方居宅が新築され或いは庭園が造られたことによつて前記農地部分も潰廃し一体として悉く宅地に転じたものというべく、一方、控訴人は、本件土地およびその四方一帯に所有していた土地をいずれも宅地用地として自ら分譲して相当額の対価を収め、本任土地についても被控訴人の住宅用地としての買入意図を諒承し、契約成立時に対価の九割弱を受領して地盛、住宅建築および造園工事等に対し、前記の如く建築承諾書を交付し、異議を述べない等その宅地化に契機を与え、かつ積極的に助力したものというべく、従つて控訴人は前記農地部分が潰廃し、本件土地全体が恒久的に宅地化したことにつき一半の責を免れ得ないことは明らかである。そしてかゝる場合は農地の売買契約も知事の許可なしに完全に効力を生ずるに至るものと解するのが相当であるから、右認定の経緯に照らし、本件土地売買契約は昭和三六年春頃以降知事の許可を要することなく完全な効力を生じ被控訴人は本件土地所有権を取得したものというべきである。
三、してみれば、控訴人を被控訴人に対し右土地につき前記仮登記に基く本登記手続をなすべき義務を負うことは明らかであるからその履行を求める被控訴人の本訴請求は正当としてこれを認容すべく、控訴人の反訴請求は失当としてこれを棄却すべく、これと結局同旨の原判決は相当である。
よつて民事訴訟法三八四条、九五条、八九条を適用して主文のとおり判決する。
目録
北海道瀬棚郡今金町字今金三五九番の二七
一、原野 七四〇・四九平方米(七畝一四歩)
同所同番の二八
一、原野 六四一・三二平方米(六畝一四歩)